水原一平さんの経歴、プロフィールと大谷翔平選手の専属通訳になった経緯や大谷選手との出会いについてお伝えします。
大谷翔平選手の活躍とともに、専属通訳の水原一平さんにも注目が集まっていますね。
水原一平さんはキャッチャーの相手をしたりなど通訳以外でも活躍されているので、「どんな経歴の持ち主なんだろう?」「プロフィールは?」と興味が湧きますよね。
バイリンガルなのは父親の仕事でアメリカで暮らしたから。
通訳にとどまらず公私ともにサポートができるのは日本ハムファイターズ時代にありました。
詳しくは本文をご覧ください!
水原一平のwiki風プロフィール
まずは水原一平さんのwiki風プロフィールを紹介します。
出身:北海道苫小牧市
1991年:アメリカ、ロサンゼルスへ移住職業:通訳
水原一平さんは、大谷選手の通訳以外にも、
- 運転手
- 練習相手
- 広報
- スケジュール管理
- ウエートトレーニングの管理
- 一緒にランニング
などなど、大谷選手のあらゆる面を公私ともにサポートされています。
先日のMLBオールスターゲームのレッドカーペットでも大谷選手の近くにいて、スーツも大谷選手と同じブランド物を見につけていました。
大谷選手と水原一平さんが着用されていたスーツについて気になる方はこちらもチェックしてみてください。
>>大谷翔平選手と水原一平さんがレッドカーペットで着ていた洋服が気になる方はコチラ
運転手
最近、大谷選手は運転免許を取得したので自分で車を運転するようになったようですが、それまでは、水原一平さんがいつも運転をしていました。
ロサンゼルスは車を持っていないとどこにも行けないので、ちょっとした買い物でも、水原一平さんが運転する車に乗せてもらっていたので、どこに行くのも一緒だったようです。
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水原一平さんは、大谷選手の顔がプリントされたクッションを作ってカメラの前で収まったりして広報のようなこともされています。
Snooze in style 😴
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— Los Angeles Angels (@Angels) July 4, 2021
また、大谷選手も水原一平さんの写真プリントのTシャツを作ったりして、お互いにグッズを作りあっているのも仲の良さがわかりますよね。
大谷翔平選手が作った通訳の水原一平さんのTシャツ、レディースもあったのでついつい注文してしまった👕届くの楽しみ🤗https://t.co/yCX58Gu81s pic.twitter.com/lSI6KLIdD5
— Rosarinn (@rosarinn) May 23, 2019
トレーニング
一緒にランニングしたり、大谷選手のウエートトレーニングメニューをメモしたり、動画をトレーナーに送ったりとマネージャーのようなこともされています。
先日、開催されたオールスター戦前日の本塁打競争で大谷選手の捕手役も務めていましたよね。
【HRダービー】大谷翔平が水原通訳を捕手役指名した理由、キャスターやゲストが大ウケhttps://t.co/S2Yigr27jJ
「後ろに僕より緊張している人がいた方が楽かなと思って」と回答。「ゲームで翔平vs翔平をしたらどっちが勝つ?」との質問には「バッターじゃないですかね?」と笑いながら答えた。 pic.twitter.com/dt7EfckwFc
— ライブドアニュース (@livedoornews) July 12, 2021
通訳のみでなく、公私ともに大谷選手をサポートされていることがわかりますね。
水原一平さんの経歴について調べましたので気になる方は続きをどうぞ。
水原一平の経歴
まず、通訳と言うと、帰国子女か英語圏への留学があるに違いないと思いますが、水原一平さんの場合は、父親の仕事の関係で6歳の時にアメリカに渡り、2007年にアメリカのカリフォルニア大学リバーサイド校を卒業しています。
水原一平さんの父親、水原英政さんは日本料理の板前さんで、アメリカで仕事をするために渡米したと言われています。
現在、ロサンゼルスの日本料理「さぬきの里」で料理人さんをされているようです。
日本ハム選手が朝夕駆け込む「まいう~」な食堂 サンスポ https://t.co/sPwx3egrtC
水原英政56歳。北海道・苫小牧市出身。高校卒業後はアイスホッケー選手として岩倉組でプレー。91年から米ロサンゼルスに移住し、現在は日本料理屋「さぬきの里」でシェフを務める。— 雷庵博人 (@raianhiroto) February 8, 2016
野茂英雄選手の影響
一平さんは大学を卒業後、アメリカの日系企業に就職したそうですが、野茂英雄選手の活躍ぶりを見て、
「スポーツ関係の仕事をしたい!」
と思われてたそうです。
当時のアメリカ人の中には、日本国民は仕事の手を休めて、野茂英雄選手の活躍を応援すべきだ。
と言う人もいたくらいすごいことを達成された選手でした。
6歳からアメリカで育ち暮らしてきたので、英語の方が得意なようですし、スポーツ関係の仕事として、バイリンガルということで通訳を選ばれたようです。
また、ロサンゼルスドジャースに所属されていた野茂選手の活躍でMLBに興味も持たれたようです。
通訳の道へ
知人の紹介で2010年にボストンレッドソックスに所属していた岡島秀樹選手の通訳を募集していることを知り選ばれたので仕事を始める予定でしたが、契約直後に岡島選手が肩を壊して退団したことで話が流れました。
調べると、岡島選手の専属通訳をしていたとの情報もありましたが、岡島選手の口から、通訳はしていなかったとの情報がありましので、おそらく契約はしたけど、実際に通訳の仕事はしなかったのかもしれません。
失意の中、テキサス・レンジャーズでトレーナーをしていた中垣征一郎さんから日本ハムファイターズが通訳を募集していることを知り応募。
2012年、見事に球団の専用通訳者として採用されました。
そして大谷翔平選手と運命の出会いをします。
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水原一平と大谷翔平との出会い
水原一平さんが日本ハムファイターズに通訳として仕事を始めた年に、大谷翔平選手がドラフト1位で日本ハムファイターズに指名され入団したことで運命の出会いに。
水原一平さんは、通訳以外にも、外国人選手の生活についてもサポートされていて、当時在籍していた外国人選手からも「通訳というより友人」だと評価されていました。
水原一平が大谷翔平の専属通訳に選ばれたわけ
2017年、大谷選手がメジャーリーグに挑戦することを機にともに日本ハムファイターズを抜けました。
大谷翔平さんから専属通訳の指名を受けたのです。
もともと、メジャーリーグに興味があった大谷選手は、外国人が参加する食事会などにも積極的に参加していたようで、水原一平さんとの接点も多かったようです。
エンゼルスに入団して初めてのスプリングトレーニングでの会見の席で、水原一平さんを指名した理由を質問された大谷選手は以下のように答えていました。
「5年間一緒にファイターズでやってきて、僕自身とても信頼していますし、そういう方にやってもらえるというのはすごく僕にとっては心強いんじゃないかなと思っています」
5年間、同じ球団で顔を合わせる中で、お互いに信頼関係を築かれていたことがうかがえますね。
水原一平の経歴は⁉️wifi風プロフィールと大谷翔平の専属通訳になった経緯や出会い!まとめ
水原一平さんは6歳で父親の仕事でアメリカに渡り、野茂英雄選手の活躍に感動しスポーツ関係の仕事をしたいと思い、見事に夢を実現させました。
大谷選手とは、日本ハムファイターズで出会い、大谷選手のメジャーリーグ移籍に伴い専属通訳として指名を受け、ともにアメリカに渡りました。
大谷選手の専属通訳にとどまらず、キャッチャーを務めたり公私ともに支えることができるのは日本ハムファイターズ時代に外国人選手の生活面もサポートしていた経緯があるからではないでしょうか。
これからのご活躍も楽しみですね♪