日本のバブル時代はいつだったの!?生活ぶりは今と違ったの?

 

ニュースなどで、時々、バブル時代の映像が流れることがありますよね。2016年にはバブルをネタにした平野ノラさんがブレイクしました。

 

バブル時代を知らない世代にとっては、バブルってどんな時代で、どんな生活ぶりだったのか想像できませんよね。

 

バブル時代はいつだったのか?バブル世代の人たちがどんな生活ぶりだったのかなどをまとめました!

 

日本のバブル時代はいつだった?

バブル-1

 

日本のバブル時代は、経済安定成長期の1980年代後半~1990年代前半の超好景気を言います。バブル期と言うこともあります。

 

バブル時代は日経平均株価が40,000円に到達する勢いの好景気で、1ドルが120円~160円と円高で、企業は株価が上がり高収益が続きました。

 

中小企業が新卒学生を100人規模で入社させる好景気、賞与は10ヶ月相当分支給される好景気、会社のイベント経費は全部会社持ちの好景気でした。

 

企業は高級な屋形船の貸し切りやナイトクルーズ船を貸し切って宴会を開き、福利厚生費にも大金を支出していました。

 

また、接待の交際費は上限無しで、接待する場所は銀座・赤坂・六本木の高級クラブでした。

 

行き帰りは会社からタクシーチケットが支給され、自分自身の財布から払うことはありませんでした。

 

企業は太っ腹だったんですよね。今では考えられませんね^^;

 

そんな華やかな時代でしたが、その当時は、携帯電話は今と違って超高額だったため、持っている人は少なかったです・・・。

 

ショルダーフォンと言う大きな携帯電話でした。見た目はカバンです。

 

個人的な通信のやりとの流行りはポケットベルでした。

 

持っている人たちは『ポケベル』と呼び、液晶パネルに電話番号が表示されていて、番号が表示されたら公衆電話から表示の電番に電話をする流れです。今も使用されている方はいます。

 

 

バブル時代とは

 

株価の上昇で日経平均株価が40,000円に近づく好景気でしたが、円相場が120円~160円と円高でした。

 

円高が継続すると製造業と製造業を取り巻く中小零細の下請け企業がダメージを受け始めたため、政府・大蔵省は日銀に長期金利を下げるよう圧力をかけて、金利を下げました。

 

低金利により金融機関からの融資が円滑になり、製造品は増産され輸出が好調になりました。

 

今まで1個100円で輸出していた製品が、一気に160円に上がれば収益増になります。

 

同時に国内市場も活発になり、ブランド商品が飛ぶように売れていきました。

 

その当時の女性達は、頭の天辺から爪先までブランド商品を身に付けていました。

 

また、同時に不動産価格が上昇しました。繁華街近辺の土地・建物は「地上屋」によって、高額な代金で買われていきました。現在の東京都池袋北口を見ると痕跡が残っています。

 

バブル景気で多額な利益を得たビジネスマンは、高級マンションを購入しました。

 

当時のマンション価格では想像できない価格の1億円を超えるマンションで、当時は『億ション』と言われ、成功者のステータスでした。

 

さらに、高級外車やスーパーカーの購入をしたりと華やかなキラキラした時代でした。

 

ですが、そんな華やかな時代は続かず、土地の価格が下がり、株価も急落しました。

 

泡はいったん膨らみますが、やがで消えてしまいますよね。

 

泡のような時代だからバブル時代と呼ばれました。

 


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バブル時代の生活

 

バブル時代の日常生活に変化はありませんでした。

 

バブル景気で多額な収益を得たビジネスマン以外は、月曜日~金曜日は会社に通勤して、土曜日日曜日は一般的な休日でした。

 

バブル時代だから、ランチ定食の値段が上がることは無く、ランチ営業する店舗が乱立したので、低価格大満足の定食店舗が街に溢れていました。

 

ですが、金曜日の仕事帰り(アフター5)は、「花金=花の金曜日」と呼ばれ、彼氏・彼女とのデートや宴席で忙しい夜を過ごしている人が多かったです。

 

高級レストランでの食事・高級スイートルームでの週末宿泊も流行りました。

 

金曜日の深夜はタクシーが捕まらずに、1万円札を振ってタクシーをゲットする人もいたようです。

 

さらに、金曜日の夜を飾った場所は「ディスコ」です。

 

今でいうクラブですが、当時のディスコはキラキラしていて、六本木・銀座・新宿・渋谷の歓楽街は黒服を着たお兄さんが客引きや入場割引チケットを配布していました。

 

特に有名だったのは、六本木の「ジュリアナ東京」です。今もメディアでバブル時代を紹介する場面では、「ジュリアナ東京」で扇子を片手に踊る女性達の映像が多いですよね。

 

ディスコでは入場チェックがあるお店もあって、入口で入店させてもらえるか黒服のお兄さんたちのチェックがあったと書きましたが、初めて行くディスコでは、入店させてもらえるかドキドキしながら列に並んでいた人達もいたのです。

 

ドキドキしながら並んでいました。だって、ダメだしされたら恥ずかしいわけですよ。

 

黒服にOKだと言われると、センスを認めれたーって感じでした。

 

ま、女性はよっぽどひどくなければOKでしたけどね。

 

女性達は、ワンレングスの髪型が流行っていて、肩パットが入ったボディコンスーツ・ワンピが流行りでした。

 

超ミニスカートで、10cm以上のピンヒールは基本の「キ」でした。

 

その格好でディスコ(今で言うクラブ)に通っていたのです。

 

当時は時間無制限・食べ放題・飲み放題・踊りたい放題で500円~1,000円と格安でした。

 

中でも六本木のディスコ『ジュリアナ東京』は流行の聖地で、ミニのボディコンにワンレングスの姿でセンスを持ちながらフロアでなく、一段高い所で踊る女性がたくさんいました。

 

まとまったお休みの、正月休暇・GW休暇・旧盆休暇には、海外旅行が流行りました。

 

バブル時代は格安航空券の流通が拡大して、海外へ旅行する日本人が増加しました。ブランドも大流行していたので、パリなどでブランド品を買いあさる女性達もたくさんいました。

 

フランスやイタリアへブランドの買い出しに行くアルバイトもあったほどです。

 

バブル時代に突入した頃の1986年の海外旅行者は500万人でした。4年後の1990年には1,000万人超えるほどブームが流行しました。

 

バブル時代の給料

 

現在の平均年収は440万円です。

 

バブル時代は超好景気だったので、当時の年収は現在の平均年収よりも100万円多い、500万円~540万円前後でした。

 

100万円多い要因は賞与額です。高売上・高利益により従業員へ賞与で還元した企業が多かったからです。年間賞与支給月数が8~12カ月分の企業もあったのです。今では考えられませよね。

 

給与水準を上げていた業界がありました。日銀金融緩和政策で融資の範囲が広がりました。つまり、金融機関・証券会社・不動産業者が高位な報酬を得ていました。

 

不動産業者は地上げをして不動産を購入して、数倍にして転売することを繰り返して、絶頂期でした。

 

その証券会社と関連代理店、不動産業者と関連企業及び建設関連の元請け企業は、多額な収益がありました。従業員を高額で募集して事業を拡大していきました。その業界の従業員の年収は1,000万円超の方が多くいました。

 

他の産業は、好景気によって賞与・期末手当などの一時金で年収増になりましたが、基本給ベースで捉えてみると、現在と大きな差はありません。物価上昇指数も上昇していません。バブル時代から現在に至る期間で値が上がった商品は、「青魚」と「煙草」くらいです。

 

バブル崩壊が与えた影響

 

バブル時代は長く続きませんでした

 

高値が付いていた株式・不動産価格が、1990年の前半に急落しました。1993年には完全にバブル時代が崩壊しました。日経平均株価は14,000円まで急落して、一気に資産が1/3になりました。円相場は80円を下回る円安に状況に転落しました。

 

その頃は、自民党政権から社会党連立政権・民主党政権に遷移しましたが、日本経済は停滞を続けました。物価安が続き「デフレ」状態で遷移しています。

 

賃上げもなく、民主党野田政権までを「失われた20年」と言われる暗黒の時代を経て、現在に至っています。

 

その『失われた20年』では、不動産投資・株式投資を主業務とした企業が経営破綻しました。

 

融資を積極的に実施した金融機関は、融資額の回収が出来ずに不良債権となり経営を圧迫していきます。

 

金融機関は生存競争が生じて保有資産の売却・メガバング同士の合併が実施されました。人員整理も積極的に実施され暗黒の時代でした。

 

その後、第2次安倍政権がアベノミクス政策を掲げて、日経平均株価は23,000円まで回復し、円相場も110円前後で落ち着いた動きをしています。前記「失われた20年」で大量解雇・リストラしたため、現在は超人財不足で超売り手市場になっています。

 

最後に

 

1980年代後半の超好景気「バブル時代」を満喫された方々は、50歳代以降で定年退職された方々も多いと思います。

 

「バブル時代」経験者からは、街中の輝きと眠らない東京、キラキラ・ゴージャスって感じで毎日がお祭り・カーニバルのようだったと聞きました。

 

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