星を追う子どもの考察とシュンが会いたかった人や作品が言いたいこと!

星を追う子どもは生死がテーマで、大切な人との別れや人生について考えされられる奥深い映画ですが、意味がよくわからないという声も多いので、映画では登場しなかった漫画のシーンを含めて考察してまとめました。星を追う子どもの考察を参考に映画を見て頂けると嬉しいです!

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星を追う子どもでシュンが会いたかった人と見たかったもの

星を追う子どもの考察-1

 

シュンが会いたかった人は、最初はアスナの父親でした。幼い頃、両親を亡くしたシュンは先生だったアスナの父親を慕っていたからです。

 

アスナの父親はアガルタ人でしたが、後に地上へ出てアスナの母と出会いアスナが生まれました。

 

ですが、アスナに出会った時、最後の唄を歌ったときの自分の歌声を唯一偶然にも聴いてくれたのがアスナだったことを知り、自分が会いたかったのはアスナだったのかもしれないと思います。

 

シュンが見たかったものは夜空に浮かぶ星でした。

 

アガルタには星がなくかわりにオーロラが現れるからです。

 

シュンは幼い頃から星を見たいと思っていました。というのも、死んだ人は星になって僕らを見守っていると先生だったアスナの父から聞いていたからです。

 

星を追う子どもの主人公は映画と漫画でちがう

シュンが星を見たくて地上へ出てきたのだから、星を追う子どもの主人公はシュンの方がぴったりだと思いませんか?

 

ですが、映画ではアスナが主人公ですよね。

 

実は、映画の主人公はアスナで、漫画の主人公はシュンなのです。

 

映画ではシュンの登場は少しでシンの方が多いですが、映画ではシュンの登場シーンがたくさんあります。

 

シュンの暮らすアガルタのカナン村では、長老にお役目に選ばれて地方を巡礼することは名誉なことで、お役目様と呼ばれています。

 

シュンは最少年のお役目に選ばれたうえに美少年でもありみんなの憧れの的でした。

 

映画ではアスナが主役ですが、それは英語表記からもアスナが主役であることがわかります。

 

英語では、『Children who Chase Lost Voices from Deep Below 』なので、直訳すると、心の底から最後の声を追う子どもになります。

 

アスナのことですよね。

 

映画の星を追う子どものあらすじやネタバレについては別の記事で詳しく書いています。

 

下のブルーの文字をクリックすると読むことができます↓

≫星を追う子どものあらすじとネタバレを含む結末まで全部を紹介!

アスナとシュンの関係を考察

アスナは2回しか会ったことがないシュンという男の子に魅了されて、死んだと聞かされても信じようとしません。

 

もしかしたら、アスナとシュンはツインレイなのかもしれません。

ツインレイとは、一つの魂が生まれてくるとき二つに別れてくる、というスピリチュアルな思想です。

 

星を追う子どものシーンの中に、アスナはシュンが歌った最後の唄を聞いたとき、「一人じゃないんだって思った」というセリフがあります。

 

また、カナン村の青年のセリフから、死ぬとアストラルに溶け込み、私たちは一つになるので、アスナは一人じゃない、と思った、と解釈していましたが、その後作られた『君の名は。』を観て、もしかしてアスナとシュンはツインレイだったのでは、と思いました。

 

『君の名は。』はツインレイの物語だからです。

 

アストラルについては別の記事で書いています。

 

ツインレイはもともと一つだった魂が二つに別れて生まれてくるので、もう一人の自分(自分の一部分)がないので、その片割れを求めるのでとても不安で寂しいといわれています。

 

アスナが森崎先生へ語るシーンからもシュンがツインレイなのでは?と思わせます。

 

一人で父親の形見の鉱石ラジオを聴きながら、

 

どこか遠い、違う場所へいかなきゃとずっと思っている。私がいたい場所はここじゃない。見たこともないどこかなんだって。そしたら、不思議な男の子と出会って、その人を追ってここまで来て・・・

 

アスナのこのセリフは、まさに自分の片割れを探し求めるツインレイそのものなのです。

 

鉱石ラジオでシュンの最後の唄を聞いたときにとても惹かれたのも、ツインレイの歌声だったからだと解釈すると考察もスムーズにできます。

 

また、スピリチュアルでは、ツインレイ同士なのかは、声によって相手に伝わりわかるものだといわれて、声がキーになります。顔ではなく、声を聞くことで、その声が振動となって相手に伝わっていくことで、相手がツインレイであることがわかる、ということです。

 

ツインレイは、お互いに地上に生まれることもありますが、片方が他の惑星に生まれることもあるので、シュンはアガルタに、アスナは地上に生まれたことになります。

 

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アスナはなぜアガルタの旅を楽しんでいるのか

アスナは森崎先生とアガルタの旅をするうちに、地上にいたときには見せなかった笑顔が多くなり、先生にも楽しんでいそうだと言われます。

 

先生は妻を生き返らせることで必死なので、アスナが楽しんでいることが不思議です。

 

ですが、アスナの地上での生活は、母親は看護師のため忙しく食事も一緒にできることもほとんどありません。

 

朝食を済ませた後に母親が夜勤明けで帰ってくると、母親と一緒に朝食を食べたい気持ちから、まだ少しならお腹に入るから一緒に食べようかな、と照れながら言いますが、学校に遅刻するから、と言われてしまいます。

 

学校では自分から友達と仲良くするわけでなく、避けているし、表情にも小学生らしさがありません。

 

誰かと共に過ごすことがなかった日常でしたが、アガルタに来てからは森崎先生と常に一緒で、いつのまにか先生のことをお父さんのようだと思い始めるようになり、アガルタでの旅を楽しんでいることがわかります。

 

星を追う子どもの映画がいいたかったこと

アガルタの旅の目的は、さよならを言えるようになるための旅です。

 

森崎先生は10年前に亡くなった最愛の妻、リサへのさよならを。

 

アスナはシュンとミミにさよならを。

 

私たちの世界では、当たり前ですが、大切な人が亡くなるととても悲しいですよね。

 

森崎先生のように、最愛の人にまた会いたい、生き返ってきたらうれしいなどと思う気持ちもわからなくはないですよね。

 

ですが、アガルタでは、

 

死者を悼むのは正しいことだが、死者と己を憐みつづけることは間違っている

 

とカナン村の長老が語っています。

 

そのため、アガルタ人と地上人の死に対する感じ方がちがいます。

 

また、アガルタでは病気になっても、薬で治すこともしません。

 

死というのは、ケツァルトルと神の世界に導かれること
受け入れるものであってあらがうものではない
病は神に呼ばれた声である

引用:漫画の星を追う子ども

 

と考えられています。

 

ですが、シンは疑問を持ち、

 

現生での命のはかなさ 意味のとぼしさを知りすぎている
だからこそ 滅び行くのではないのですか

 

と1泊させてくれたアモロートの老人に言うと、未熟だと言い反されます。

 

そなたの未熟さはよく似ている
あの地上人の男に

 

と。

 

釈迦も、死を嘆くことは、死者に対してではなく、死者がいなくなったことに対する自分への悲しみであって、エゴである。と言われていたようです。

 

森崎先生と妻の別れ

森崎先生の亡き妻のリサを蘇らせたい気持ちは尋常ではないくらいの執念でしたが、生死の門で神に生贄をささげ片目を失った後、少しだけ生き返った妻が消えて行く時、先生は亡き妻にさよならをすることができました。

 

リサが消えていくとき、先生は

 

愛している
愛していた

 

と言いました。

 

現在形から過去形に変わっています。

 

このセリフから、森崎先生が亡き妻の死を受けれることができたことがわかります。

 

アスナとシュンの別れ

アスナの肉体が森崎先生の妻、リサに奪われていたとき、アスナは死後の世界にいました。

 

そこには、シュンとミミがいました。

 

アモロート村で別れたときとは違い、ミミは自らアスナの肩に乗ってきますが、アスナはシュンとミミに別れを告げて元の世界へと戻ってきます

 

あれほどシュンに会いたがっていて、ミミとの別れにショックを受けていたのに、笑顔でさよならすることができたのです。

 

アスナがどれほどシュンに会いたがっていたかは、シンとの接し方のシーンからもわかります。

 

フィニス・テラにある生死の門への道中で、アモロートの兵士たちに追いつかれ、シンが助けに来た時、アスナはシンに向かってシュンと叫びます。

 

その後、夷族(いぞく)から助けらた後で、シンの目の色がシュンと違うことに気付いたアスナは、やっとシンはシュンではなかったことが確信できたほど、シンがシュンであることを期待していたことがわかります。

 

星を追う子どもが言いたかったこと

アガルタの旅はさよならをいうための旅です。

 

アスナも森崎先生も相手にさよならを言うことができました。

 

ここでいうさよならとは、星を追う子どもを考察したところ、個人的な視点からですが、愛する人のの死を受け入れることなのだと思います。

 

森崎先生の亡き妻のリサが、一瞬蘇った後に消えていくとき、

 

幸せをいきて・・・

 

と言います。森崎先生もアスナも今を生きていませんでした。

 

アスナはアガルタで、森崎先生から「なぜアガルタに来たのか?」と言われたとき、すぐに答えられませんでした。

 

その後、夷族(いぞく)に命を狙われていたとき、アガルタに来たのは淋しかったからだと気づき、母親やクラスメイトや森崎先生たちと接した時のことを思い出し、「生きなきゃ」と思います。

 

周囲の人達がやさしく接してくれていたことに、気がついたのです。

 

私たちも、生きていると、寂しいことやつらいことや悲しいことばかりに意識が集中してしまうこともありますよね。

 

星を追う子どもに出てくる、アスナや森崎先生は、その象徴です。

 

10年前に亡くなった妻を生き返らせるための森崎先生の執念はすごいものがあるし、アスナの小学生なのに子供らしさがなく笑顔もないし、アガルタに来て母親が心配してるかも、と頭によぎることもないひどい子供のように思うかもしれませんが、森脇先生とアスナは亡くなった人への想いや寂しさをぎゅーと詰め込んだ人物です。

 

また、スピリチュアルが好きな人達のあいだでは、アガルタは森脇先生のようにすばらしい世界だと思っている人たちも多いです。

 

新海誠監督の作品にはスピリチュアルがテーマになったものが多いですよね。大ヒットした君の名は。もスピリチュアルのツインレイについての物語でした。

 

君の名は。をスピリチュアルな意味を含めて別の記事で解説していますので、気になる方は読んでみてください↓

 

≫君の名は。のあらすじネタバレをスピリチュアルの意味を含めて解説

 

ですが、星を追う子どもで描かれているアガルタは、死を待っている世界でした。

 

日本では着物を着るとき、左前に着ますが、死人には右前に着せますよね。シンはずっと右前に着ていましたが、最後は左前に着ていました。

 

アガルタは滅びゆく世界で、死後の世界のアストラルへ溶け込むのをまっている状態で、肉体は生きていますが、魂は死んでいる世界を表しているのではないでしょうか。

 

星を追う子どもは厳しい意見もあり評価がわかれる作品ですが、生きることの大切さ、大切な人を失ったときの悲しさやつらさなど葛藤が描かれていて、最愛な人を亡くした方や友達がいなくて孤独で寂しいと思う方にぜひ見ていただきたい作品です。

 

最後まで読んでくださりありがとうございました。

 

星を追う子どもを見て、何をいいたいのかわからない、つまらない映画だと思われたら、幸せな証拠なのかもしれません。

 

それかもう一度見ていただくと気持ちがかわるかもしれません。

 

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