フッガー家、メディチ家、ハプスブルク家の違いを簡単に説明!

 

ヨーロッパには貴族制度が残っている国がありますよね。

 

第1次・第2次世界大戦の戦勝国は貴族制度が今もつづいています。

 

最も有名な国はイギリスで、現在のチャールズ皇太子殿下の前妻の故ダイアナ妃殿下は、スペンサー伯爵家の出身です。

 

他国にも貴族制度があり、15世紀~17世紀は高位な貴族が国を治めていました。

 

戦前のドイツ・オーストリア・ハンガリーや東欧諸国では、フッガー家・メディチ家・ハプスブルク家があり、強大な勢力でした。

 

特にハプスブルク家は、「ルドルフ1世」「マリアテレジア」「マリーアントワネット」「エリザベート」「フランツ・ヨーゼフ1世」の有名な人物を歴史に残しています。

 

その有名貴族の説明をしていきますね。

 

フッガー家とは

フッガー-メディチ-ハプスブルグ

 

フッガー家(Fugger)は、現在のドイツ連邦共和国のアウクスブルクを中心に商売をした豪商です。

 

フッガー家は、15世紀に現在のイタリア・ヴェネツィア製の香料・木綿・麻織物の交易により財を築き上げ、その財を基にして、現在のスイス連邦・チロル地域の銀山の経営権を独占しました。

 

勢力はハンガリーにまで至り、銅山の経営者を取得し、銀と銅の商いで巨額な富を得たのですが金融業を開始しました。

 

金融業による貸出相手は、神聖ローマ帝国・スペイン王国・イタリアのローマ教皇を筆頭に多大な融資を実行しました。

 

商業的な要素を含んだ高利貸金貸業の始まりと言われています。

 

15世紀~16世紀に国内の銀の鉱山を支配下に置き、金融業で巨額の富を得て、現在のオーストリアのハプスブルク家の財政を支えましたが、17世紀に融資先の神聖ローマ帝国の財政破綻により、債務回収不履行(融資した相手先が倒産して資金回収が不可能になる)により、フッガー家は衰退しました。

 

現在も貴族として存続しています。

 

メディチ家とは

 

メディチ家(Medici)は、現在のイタリア共和国・フィレンツェ地方を中心に栄えた財閥です。

 

15世紀~18世紀に大活躍をして、ルネサンス芸術を保護する家系としても高名です。

 

メディチ家は財閥の持つ潤沢な資金を基にして、銀行業を興しました(創業・起業)。取引先はイタリアのローマ教皇庁で、商取引を拡大させて欧州の中で一流の銀行に成長していきました。

 

欧州諸国の政治状況を利用して莫大な富を築き上げ、公爵の地域を獲得して欧州の貴族の仲間になりました。

 

16世紀~18世紀まで世襲により公爵位を継承していきますが、結果的に断絶しました。

 

前節で説明しましたが、ルネサンス芸術の保護に力を入れていました。

 

その財産はイタリア共和国政府に寄贈されて一部が一般公開されています。

 

現在のメディチ家は貴族ではなく、ワイナリー経営者として活躍されているようです。

 


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ハプスブルグ家とは

 

ハクスブルグ家(Habsburg)は、欧州随一の名門王家と言われています。

 

発祥は現在のスイス連邦の領土内のドイツ系の貴族家系です。

 

日本でも16世紀の戦国時代には政略結婚が頻繁に行われていましたが、ハプスブルグ家は、15世紀頃から血縁制度を利用した政略結婚により広大な領土を獲得して、南ドイツ地方を代表する大貴族に成長しました。

 

ハクスブルグ家は20世紀初頭まで、中部欧州地域で強大な勢力を誇りました。

 

当時のオーストリア大公国(オーストリア公国)・スペイン王国・ナポリ王国・トスカーナ大公国・ボヘミア王国・ハンガリー王国・オーストリア帝国の大公(国王より上位で公の最高位)・国王・皇帝の貴族家系になりました。

 

現在のドイツ全域を治めた神聖ローマ帝国(=ドイツ帝国)の皇帝爵位を中世以来から保持しました。

 

19世紀にオットー・ビスマルク(Otto E. L. Von Bismarck)が、ドイツ帝国を成立させるまでは、ハクスブルグ家はドイツ人君主でした。

 

ハクスブルグ家は現在も存続しています。

 

現在のオーストリア共和国では爵位がありませんが、カール・ハプスブルク=ロートリンゲンさんがハクスブルグ家を継承しています。

 

「カール・フォン・エスターライヒ」「カール大公」と呼ばれ、多くの名誉職に就いています。

 

継承者のカール・ハプスブルク=ロートリンゲンさんは1961年生まれの57歳です。

 

3人のお子様に恵まれ、フェルディナント・ズヴォニミル王子はイケメンのカーレーサーとして活躍されています。近い将来、三重県鈴鹿にお見えになるかもしれませんね。

 

最後に

 

中世の欧州は貴族社会制度により国家が成立していた歴史があります。

 

国家が崩壊すると同時にその国家から恩恵を得ていた貴族も崩壊していきました。

 

中世~現代で国王・皇帝と称される君主の上位爵位「大公」が存在していました。

 

「大公」は4名の方は就任されています。「トスカーナ大公」「バーデン大公」「リトアニア大公」「ルクセンブルグ大公」です。

 

現在もご活躍されている大公閣下は、ルクセンブルグ大公国のルクセンブルグ大公だけです。立憲君主制が確立した国家です。

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