本書『フレディ・マーキュリー 華麗なるボヘミアン・ラプソディ』は、晩年までフレディの側にいて、スタッフとして友人の一人としてフレディと接してきた人が書いた本で、人としてのフレディについて知ることが出来る本ですが、絶版になっており、映画『ボヘミアン・ラプソディ』の大ヒットの影響もあって中古本は高値になっています。
図書館にもあったりしますが、あったとしてもかなりの予約待ちです。
この本を読みたいけど手に入れるのが難しい方のために、各章で印象に残ったエピソードを中心に書いていきますので、本書が気になる方は是非お読み下さい。
フレディ・マーキュリー 華麗なるボヘミアン・ラプソディ
著者は、フレディの最期を看取った3人の中の一人、ピーター・フリーストーンです。ピーターよりフィービーと言った方がわかりやすいかもしれません。
フィービーはフレディがつけたニックネームです。
1979年よりクイーンの衣装係りをしていて、仕事でもプレイベートでもフレディの近くにいた人で、後にフレディのパーソナルアシスタントとしてフレディの自宅である『ガーデン・ロッジ』に住み、最期まで側にいたスタッフでもあり友人の一人です。
大スターだった故人の本を出版すると、暴露本だとかお金儲けだと思われる方がいるかもしれませんが、私はそのような印象は感じませんでした。
フレディは私生活を公にする必要はないと思っていたので、本人や一部のファンは快く思わないかもしれませんが・・・。
個人的には、プロが書いたフレディに関しての本よりも、フィービーやジムが書いた本の方がフレディをより身近に感じることができます。
本書から、フィービーは洞察力や理解力にも優れた人物であることが伺え、冷静、客観的かつ詳細に綴られています。
概要
【著者】ピーター・フリーストーン
【初版】2001年9月4日
ピーターは、フレディのスタッフであり友人の一人で、フレディの邸宅『ガーデン・ロッジ』に住み、晩年フレディを看取った一人で、遺産も受け取っています。
フレディとの付き合いは、亡くなるまでの12年間。
晩年を看取ったのはジム、ジョーを含めて3人でしたが、二人ともエイズで亡くなり、今も健在なのはフィービーのみです。
まず最初に16ページのカラー写真があり、ほとんどはフレディのプライベートの写真です。仕事中のものはブレイク・フリーのPV製作で女装しているフレディの写真が5枚、レコーディング中、ピアノを弾いているものなどです。
その他は、友人たちと楽しそうに写真におさまっているものが多く、小学生の同級生同士がじゃれあっているような写真もあります。著者とフレディの楽しそうな写真もあり、上司と使用人というより大きくなった好奇心旺盛な子供たちの様な感じで、友人という印象です。
短髪に口髭の男性達が数人で寄り添って楽しそうな写真を見ていると、フレディは友人にも恵まれて幸せだっんだろうな、と思えてきます。
目次
カラー写真の次には目次があり、6章にわかれています。
はじめに
第1章:ツアー
第2章:レコーディング
第3章:プロモ・ビデオ
第4章:アートワーク
第5章:プライベート
第6章:自由への旅立ち
引用:フレディ・マーキュリー 華麗なるボヘミアン・ラプソディ
本全体は時系列ではなく、章の中で時系列になっており、各章はさらに分かれています。
はじめに
本書を書いた動機について書かれています。
12年間フレディのところに勤め、仕事内容は、パーソナル・アシスタント、料理、掃除、執事、秘書、付き人、お世話係、相談相手、ボディ・ガード、晩年は看護夫の役目をしたこと。なお、仕事を介したスタッフだけではなく、友人の一人であったことが書かれています。
本書を読み進めるとわかりますが、最初は衣装係としてクイーンのスタッフになりますが、仕事内容は衣装係の範疇を超えていてスタッフの一人としてのみでなく、人としてフレディと関わっていたことがわかります。
本書を書こうと思った理由については、以下のように書かれています。
芸術家でありひとりの男としてのフレディ・マーキュリーの姿をできるかぎり真摯に伝える義務があると考えた。これまで書かれてきた彼の姿以上、何より正確に伝えたいと考えている。
引用:フレディ・マーキュリー 華麗なるボヘミアン・ラプソディ
正確に伝えたいと思ったのは以下の理由です。
彼のことを知りもしないマスコミやエセ伝記作家が作りあげた大げさな「フレディ・マーキュリー像」を一掃することがこの本を書こうと思った一番の動機だった。この本を介して、ひとりでも多くの人々に彼の内面を知っていただければ幸いだ。
引用:フレディ・マーキュリー 華麗なるボヘミアン・ラプソディ
フィービーはフレディの仕事やプライベートにも関わっていましたし、身近にいた一人ですので、本書からマスコミなどが知らないフレディの言動を伺うことができ、人としてのフレディを垣間見ることができます。
『はじめに』の最後は以下のように、あくまでもフィービーから見たフレディであることと書かれています。
私は人は他人を完全に理解できるものだとは思っていない。だから、すべてを断定的に主張する気は毛頭ない。ここに綴るのは私の目から見たフレディ・マーキュリーというひとりの天才の生涯であり、その仕事である。
引用:フレディ・マーキュリー 華麗なるボヘミアン・ラプソディ
この部分からも、感情的になることもなくフレディを過大評価するわけでもなく、客観的に書こうと努めたのかな、と思いました。
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第1章:ツアー
クイーンの衣装係になった経緯とツアーへ同行したときの様子について書かれていて、クイーンの衣装係として声を掛けられたことは幸運だと書いています。
フィービーがフレディを紹介されたのは1979年でしたが、1973年にメアリーの勤めていたブディックの『ビバ』のソファーでフレディを見かけたことがあり、強烈な印象だったそうです。
フレディは学生時代の同級生たちからは、地味で控え目だったのでクイーンのステージを見て驚いた、と言われていましたが、1973年だとデビューしていたため、個性的で派手な衣装を身に付けていて存在感が出ていたのかもしれませんね。
フィービーは衣装係の仕事を引き受けたものの、クイーンのバンドメンバーの名前や何人編成なのかさえも知らず、歌も3曲しか知らなかったそうですが、リハーサルが始まると、聴いたことがある曲ばかりで、これらの曲はクイーンだったのかと知ることになりました。
第1章の中で、私が面白いと思ったところについて書いていきます。
本書の前半は仕事面のことが綴られていますが、フィービーは衣装係にとどまらず、ある日、一人でフレディのお供を任されるようになりました。
北米ツアー中、ポール・ブレンダー(後にフレディを裏切った人)と3人でバーへ出かけていましたが、ポールがデートするためフレディに許可をもらいバーを出ることになり、フィービーはフレディのお世話を託されてしまいました。
責任重大だと緊張するフィービーでしたが、フレディはポールがいなくなるとお酒の量が増えていき、上司であるフレディに注意することもできず、朝の4時にホテルに戻った時にはフレディの酔いが酷く、洋服を脱がせることができたと思ったら、大変なことに・・・。
気分が悪いからトイレに行きたいと言い出したフレディは、ベッドの角縁に手をかけて立ち上がろうとしたのですが、ベッドが円形だったため縁を探してグルグルとベッドの周囲を回ってしまい、ベッドの周りはゲロだらけになってしまいました。
あわててポールに電話をすると大笑いしながら「心配しなくていい」を言われましたが、フィービーはクビを覚悟しました。
ベッド周りをできるだけきれいにして寝静まったフレディを後にして自分の部屋へ。
翌日フレディに呼び出された時、クビを覚悟に部屋を訪ねると朝食が用意されていて、昨夜の出来事を笑い話にオレンジジュースとトーストを一緒に食べたそうです。
私はこのエピソードが好きで、お酒が強いフレディがそこまで酔っぱらってしまうとはどれだけ飲んだんだろう!?とか、自分からあまり話し掛けるタイプではないので、フィービーと初めて二人きりになってお酒の量がエスカレートしたのかな!?とか、ピーターがいないので止める人がいなかったのでたくさん飲んだのかな!?とか想像したり、運悪く円形のベッドで縁を求めてグルグル回ってしまってゲロだらけになってしまったことなど読んでいて笑ってしまいました。
また、クビを覚悟したフィービーから真面目な方なのかな、と思ったり、一緒に朝食を食べようと声をかけて自分がしたことに大笑いしたフレディの人間性にもほのぼのしました。
フィービーは欧米、日本、南米ツアーにも同行し、レコーディング、PVについても本書に書き留めています。
すごい記憶力だな、と思うくらい詳細に書かれていますので、曲やPVを頭に浮かべながら読みすすめました。
第2章:レコーディング
この章はレコーディングの時の回顧録やエピソードについて書かれていて、フィービーがスタッフとして参加した時期の『ホットスペース』から『イニュエンドウ』まで、フレデッィの曲の作り方なども書いてあります。
アンダー・プレッシャー
フィービーが衣装係などの仕事を超えて、曲作りにまで意見を言える関係にあったことがデビッド・ボウイとの共作『アンダー・プレッシャー』の曲作りのところでわかります。
ボーカルを2オクターブ高音にスライドさせる唱法を提案したところ、フレディは案を取りあげたそうです。
自分のエゴでなく、いいと思ったことは取り入れて最高のものを作ることを実践していたフレディおよびクイーンの曲作りの姿勢が伺え、あのフレディの高音部分はフィービーの提案だったんだな、とこのような裏情報も知ることができました。
バルセロナ
この部分では、フレディがなぜオペラに興味をもったのか、モンセラ・カバリエとアルバムを作った経緯などについて書かれています。
テノールのオペラ歌手、ツチアーノ・パヴロッティのような声になりたい、声をコントロールする技術に驚き、音域の点からオペラに興味を持っていたフレディに、フィービーはパヴァロッティの公演を観に行くことをすすめました。
その舞台にソプラノ歌手として登場したのがモンセラ・カバリエで、その美声にフレディは大感激しました。それは1981年の出来事でした。
1986年、スペインでのラジオインタビューで尊敬している歌手を質問されたフレディは、モンセラの名前を挙げ、皆をびっくりさせました。
そのインタビューが切っ掛けで、1981年からモンセラに憧れ続けたフレディの元に、モンセラ側から作品を提供して欲しいと依頼があったのでした。
喜ぶよりも少し怖さを感じていたフレディに対して、ジム・ビーチとフィーバーは説得、プロジェクトがスタートし、アルバムが出来上がりました。
『バルセロナ』が最後の仕事になるかも
とフレディは言っていたようで、この頃、HIVに感染していることを知ったのではないかと思われます。
アルバム『バルセロナ』は1988年に発表されています。
マイケル・ジャクソン邸でのエピソード
第2章では、特に、マイケル・ジャクソンの自宅(エンシノの実家)を訪問したときのエピソードが印象に残りました。
フレディとマイケルはお互いにファン同士で知られていますが、マイケルが住んでいたエンシノを訪れた時はフィービーと一緒だったことが本書からわかります。
二人の大スターのエピソードが伺い知れて貴重なので取り上げることにします。
この部分でも、フレディの側にいた人が書いたから伺えるシーンがあり、思わず笑ってしまったところもあります。
フレディとマイケルが疎遠になったのは、この訪問時なのではないか、と推測する方達がいますが、本書では、
マイケルがラマのいる囲いへ案内したとき、ぬかるんだ道を歩くことになったフレディは、泥が跳ねないように慎重に歩いていたけれど、ホワイトジーンズとぴかぴかの靴が泥まみれになってしまった。
とだけ書いてあります。
ラマに会いに来たわけじゃないんだし、断ってもよかったのではないか、と思いますし、フレディなら断りそうだ、と思いそうですが、家中を丁寧に案内してくれるマイケルにゲストとして従順に接待を受けるのが礼儀だと思っていたのかもしれませんね。
マイケル邸でのレコーディング
家中を案内されたあと、最後にスタジオに辿り着きレコーディングをはじめました。
フレディとマイケルのみでのレコーディングだったため、ドラマーもおらず、ドラムマシンを使いたくなかったマイケルは、トイレのドアをバタンと閉める音が一番理想の音に近いから、ということで、フィービーが開閉する担当となり、出番がない時はラトーヤとジャネットと一緒にビデオ鑑賞していたそうです。なんとも贅沢なシチュエーションでしょうか。
マイケル邸でのランチ
14時頃に出前が届きランチタイムになりましたが、フレディとフィーバーにはコールドカットの詰め合わせで、マイケルは10種類のメロンの盛り合わせ。
コールドカットとは・・・ハム・ソーセージ・お肉などが盛られたもので、地元のスーパーからのデリバリーなので、お世辞にも美味しいとはいえるものではなかったと思います。
マイケルはケンタッキー好きで知られていましたが、食事には興味がなかったようですし、テーブルクロスや食器にもこだわり自宅でランチタイムにゲストを迎えることが多かったフレディは美味しい料理でもてなしていたので対照的ですね。
フレディとマイケルのセッション
ランチの後、二人は以下の3曲分をセッションしたそうです。
マイケルの曲『ビクトリー』『ステイト・オブ・ショック』、フレディのソロアルバム『Mr.バッド・ガイ』に収録された『生命の証』。
『ステイト・オブ・ショック』↓
『生命の証』↓
5~6時間のセッション後、18時過ぎにマイケルの自宅を後にしました。
帰りの車の中で、フレディはマイケルの仕事に対する姿勢についてはとても感銘を受けていましたが、家の趣味にはちょっとついていけなかったらしく、
あんなに金をかけて、趣味が悪いなんてね。金の無駄使いってもんだよ
と語ったそうです。
マイケルの大邸宅といえばネバーランドのイメージがありますが、フレディ達が訪れた時はまだエンシノで家族と一緒に住んでいました。
後のネバーランドを彷彿させるような大邸宅だったようで、建物の対になっている窓にはクリスマスシーズンのように電飾があり、ミニ動物園、ミニシアター、ゲームの部屋、礼拝堂、庭の池には白鳥、入口にはいかつい警備員が配置された大邸宅でした。
第3章:プロモ・ビデオ
今では当たり前になったPVを最初に作ったのはクイーンなわけですが、第3章では、『ボヘミアン・ラプソディ』のPV製作からはじまり、『輝ける日々』までが綴られています。
『ボヘミアン・ラプソディ』↓
『輝ける日々』↓
『狂気への除曲』を作成していた頃、痩せてしまってこけた頬を隠すために、厚塗りの化粧にカツラ、モノクロで撮影されました。
『狂気への除曲』↓
パントマイムを演じていますが、既に痛みと戦っていて、PVの中でフレディは先のとがった大きな靴を履いているシーンがありますが、窮屈な靴を履くことが難しくなっていたからだそうです。
この靴は最後の休暇でイビサ島を訪れた時に購入したものでした。
本書によると、クイーンのメンバーに病気のことを打ち明けたのはこの時期だったとのことです。
最後のPVとなった『輝ける日々』では、動くことなく立ったまま撮影されたわけですが、右足の親指の側面の付け根に皮脂組織障害ができていて、変形して硬くなってしまったカサブタが歩くたびに肉に食い込んで激しい痛みになり、歩くことも困難だったようです。
PV製作の時、自由に動き回るため、毎回撮影スタッフを悩ませていた頃のフレディの姿はありませんでした。
ジム・ビーチは、フレディが撮影に来られなくなったことも考えて、アニメを用意していたそうですが、そのことを知ったフレディに対してフィービーは、
「最後に絶対、カメラの前に立ってやるんだ」
と気持ちを奮い立たせたようにみえたそうです。
第4章:アートワーク
この章では、アルバムジャケットからはじまり、フレディ邸の『ガーデン・ロッジ』について細かく書いてあります。
フレディの美意識について紹介されているのですが、家の中の間取りなどについても書かれていて、個人的には、ここまで詳細に書かなくてもよかったのではないかな、と思いました。
第5章:プライベート
フレディの食生活や好きな映画、友人関係、ニューヨークでの生活、最後に『愛』について書かれています。
プライベートについて触れていることもあって、フレディの食事の好みなどがわかります。
フレディの好きな料理
朝食は、フレディが起床する時刻になると、フィービーたちの誰かが紅茶を持って寝室に行き、食べたいものを聞きその日の気分によってメニューが様々だったこと。
トースト、マーマレード、カチョリというインド風のスクランブルエッグなど、飲み物は時々フルーツジュースも出したけど紅茶は毎回出していて、コーヒーを飲むのは稀だった。
新鮮な食材を食べることにこだわり、さっとゆでたビーツにレモン汁とクミンをのせてパルメザンチーズを振り、パースニップをローストしたものが大好きだったそうです。
作り方は、パースニップの皮をむき5分ほどゆでて水けをきり、熱いうちに小麦粉と塩コショウを混ぜ、パルメザンチーズをのせて金色になるまで焼きます。
特に大好きだったメニューは「ジム・ハットン風アイリッシュシチュー」で、フィービーが作るビーフ・ストロガノフ、ラムのホットポット、チリ・コン・カーン、ポテトやパイ生地をつけたフィッシュパイ、ステーキ、キドニー・パイも好物でした。
手の込んだメニューが好きだったのでオーソ・ブッコ(子牛の骨付きすね肉をトマトなどと一緒に煮込んだもの)、インド風のダーンサク、クルマエビのクレオール、マダー・ジャフリー風のラムを作り、毎週日曜日にはロースト肉を作ったそうです。
毎年開催されたクリスマスパーティーでは、ターキー、ボクシングデーにはローストポークを振る舞っていた。
デザートは特に好きだったわけではなかったけど、フィービーの母親から譲り受けた小麦粉のかわりにアーモンドの粉で作ったアーモンドとチェリーのケーキを週に一度作ると、その日のうちに食べていました。
他にもフレディに作っていた料理が紹介されていますが、病気になってからは、例えば、味の濃いチェダー・チーズが好きだったけど、においが強い味をうけつけられなくなり、食べると吐き気を感じたり、喉につまると訴えるようになっっためメニューが変わったこと。
それまでは、メキシカン、中華などスパイシーな料理が好きでしたが、薄味のスープや普通のスクランブル・エッグをつくるようになったと書かれていて、フレディの体調が変化したことが伺えます。
ランチパーティとお気に入りのレストラン
外出をしない日は、天気がよければ庭を散歩したり、11時ぐらいになるとランチに招待する人を決めたりして、フィービーたちが電話をしていた。
フレディは人を喜ばせることが大好きでしたが、ランチを招待するところでもその人柄が伺えます。
なんと、人数が増えても大丈夫なように4種類ほどのコースを用意し、同じゲストに同じ料理を3回出すことを避けていたというのです。
また、ランチの場を忙しい友人たちの再会の場所として活用できるようにと様々な分野の友人たちに声を掛けていたそうです。
お気に入りだったレストランも紹介されています。
ブロンプトン・ロードのイタリアンレストラン、ポンテヴェッキオ、フルハムロードのメリディアナ。
中華料理ではゼン・グループのレストラン、インド料理ではパトロンをしていたシェザン、レバノン料理も好きで、タイ料理をすすめたところ、トム・ヤム・クンなどの辛いスープが好きだったそうです。
日本の追っかけファン
この章では日本のファンについて少し触れられています。世界的なスターを見た人々の反応は訪れるクラブや国で違うというところで、日本では、フレディの行く先々に50人ほどのファンの集団がいて、どこにでもついてきていたけど、節度のある距離を保っていたこと。
その距離は12フィートくらいで、3、4人のファンが集団を率いていた。その集団はハレー彗星などのような尾っぽのようだったそうです。
映画館で観たことがある映画は2作品
フィービーがフレディと一緒に映画館へ行ったのは2回だけで、その1本はフレディが尊敬している映画監督の一人であるスピルバーグ監督の『レイダース 失われたアーク』でしたが、観客がポップコーンを飛ばしあっているのを面白そうに眺めていたそうです。
後半部分に、ドイツ人兵士の口の中にハエが入ろうとするシーンで観客の一人が
「ハエだ!あいつハエを食おうとしている!」
と大声て叫んだ時、フレディはお腹の皮がよじれるほど笑ったそうです。
2本目は、10人ほどの団体で『ネバーエンディングストーリー』を観に映画館へ入ったのですが、10分後くらいに
「僕は出るよ。バカバカしいったらありゃしない」
と言い出し劇場を出ました。
というのも、ミュンヘンだったので、ドイツ語に吹き替えられたバージョンを観に入ってしまい会話が理解できなかったからでした。
フレディの好きな映画
自宅でビデオ鑑賞するときは、シャンパンとキャビアのカナッペで、1番よく観ていたのは『お熱いのがお好き』と『ウイメン』で、『悲しみは空の彼方に』も好きだったそうです。
『お熱いのはお好き』はマリリン・モンローが登場するモノクロのコメディ映画で、私も大好きで何度も見ているので、フレディも好きだったことを知った時は嬉しかったです。
『悲しみは空の彼方に』は『Imitation of Life』というタイトルが気に入っていて、フィービーはフレディの目に涙が浮かんでいるところを何度か見たことがあるそうです。
フレディの好きなPV
好きだった音楽のPVは、プリンス、アレサ・フランクリン、マイケル・ジャクソン、ディオンヌ・ワーリック、ライオネル・リッチーなどのブラック系で、プリンスのコンサートビデオに関しては、みんなにも見るようにと強要したほどでした。
フレディは家電オンチだった
フレディの意外な一面を知るところもあって、それは、フレディがステレオの使い方を知らなかったので、レコードを聴きたいときはフィービーなどを呼んでいたということです。
ミュージシャンなのに、意外ですよね。
というか、家電が苦手だったようで電子レンジも使い方がわからなかったそうです。
インタビュー嫌いになった理由
フレディはあまりインタビューを受けなくなり、マスコミ嫌いの印象を持つ人が多かったですが、この章では、当初は丁寧に答えていたことなどが書かれています。
フレディにとってインタビューとは、自分が信じていることを然るべき形にして伝える手段のひとつだと思って対応していたのに、編集側の判断で要約されてしまったことなどが書いてあります。
フレディの口癖
作曲家として、仕事こそが彼の人生だった。
フレディの口癖は、
「僕と一緒の人生が退屈だなんて絶対言わせない」引用:フレディ・マーキュリー 華麗なるボヘミアン・ラプソディ
フィービーから見たフレディにとっての愛
愛こそがフレディのすべてだった。
彼の愛は、信頼から始まると言ってもいいだろう。
彼は不思議と友人たちの良いところだけしか見ようとしなかった。引用:フレディ・マーキュリー 華麗なるボヘミアン・ラプソディ
と書かれていています。
特に最後の一文はフレディらしいですし、フィービーが『不思議』という言葉を付け加えたように、通常、他人の良いところだけを見ることは難しいですから、見習いたいところです。
『愛』についてでは、フレディの恋愛事情についても書かれていて、以下の一文を読んでホッとしました。
ジム・ハットンがフレディのことを本当に愛していたことを知っている。
引用:フレディ・マーキュリー 華麗なるボヘミアン・ラプソディ
と言うのも、ジムは周囲の人達からただの庭師としか思われておらず、恋人だと思われていなかったからです。
ジムは1994年に『フレディ・マーキュリーと私』の本を出版しフレディの恋人だったことを書いているので、フィービーも読んでいるとは思いますが、ちゃんと本におさめてくれたことにジムはうれしかったのではないのかな、と思いました。
フレディの使用人や雇用関係者は友人から派生していることが多かったとありますが、これもフレディの魅力と人間性によって築かれものだったように思います。
声を掛けて雇用したからには事情が変わったとしても後々までその人が生活できるように尽力していたことが書いてあります。
ここに1人あげるとすると、ファンなら誰もが知っているメアリーです。
ゲイであることを告白したことで、メアリーはフレディと分かれることになり人生が変ったわけですが、秘書として働くことで経済的にも自立でき、友人としてお付き合いがつづいたことは知られていますよね。
フレディは金に物を言わせて友情を買ったわけではない。
引用:フレディ・マーキュリー 華麗なるボヘミアン・ラプソディ
の一文に、本当にそうだったことが本書からも伝わってきます。
彼の人間的な魅力、彼のスピリット、そして彼自身・・・フレディと関わり合いを持つ誰もが彼に引き寄せられていった。
まるで磁石のように。私は彼のすべての友人たちと代弁して断言できる。
それは、その誰もがフレディ・マーキュリーという人間を知ることができたことに誇りを感じているということだ。フレディにとって友情と忠誠心は、金で買えるいかなるものにも代え難く、彼はそれに忠実であろうとした。
引用:フレディ・マーキュリー 華麗なるボヘミアン・ラプソディ
更に、クイーンのメンバーについても触れられています。
フレディはジョンのことをとても尊敬していた。
引用:フレディ・マーキュリー 華麗なるボヘミアン・ラプソディ
ジョンもフレディのことをとても尊敬していたので、お互いに尊敬し合っていたわけです。
ブライアンは、二人は相性がいいと言っていましたしね。
この章の最後の方は、最後の1、2年にお世話になった医療関係者についても書かれており、病院の予約を入れながらも、フィービーはフレディの病名について明かされていなかったというのです。
そして、ガーデン・ロッジに住む同居人たちから、よそよそしさを感じており、1989年半ば、メアリー、ジム、ジョーへこう訊ねました。
聞いてくれ・・・もし、このまま何が起きているかも知らされない状況が続くなら、僕がここにいても無駄だろう、この家にいるべきじゃないと思う。
引用:フレディ・マーキュリー 華麗なるボヘミアン・ラプソディ
この質問により、
フレディから、マスコミに情報を流しているのはフィービーではないかと疑われていることを知りました。
10年以上雇用され、住まいを共にしてきフィービーがガーデン・ロッジを出て行く決心をした数日後、フレディがフィービーの仕事場であるキッチンへ降りてきて、
君が出ていくなんてそんなバカげた話、どういうわけなんだい?
引用:フレディ・マーキュリー 華麗なるボヘミアン・ラプソディ
と話かけてきて、お互い感じていたことを話し合い、フレディの疑いがはっきりしたことで、まだ望みはあるかもしれないと思ったフィービーは、
衣装係としてクイーンの仕事を始めたばかりの頃は見るものすべてが新しく、すばらしくて、魅力的だったので、友人たちに素敵な生活だと話したことはあるけど、フレディのことを知ってからは、フレディのプライバシーがどういう意味を持つのか、完璧に理解してきたつもりだし、僕が君の邪魔をするようなことはなかったことは分かってるだろう?
君のためならどんなことでもしてきた。
引用:フレディ・マーキュリー 華麗なるボヘミアン・ラプソディ
と話したところ、フレディから
僕が本当に重病だってことは察しがつくだろう。話はこれで終わり、これ以上、何も言うことはないんだ。
引用:フレディ・マーキュリー 華麗なるボヘミアン・ラプソディ
と言われても、出ていくか迷うフィービーに対して
まだ出ていきたいのかい?
引用:フレディ・マーキュリー 華麗なるボヘミアン・ラプソディ
と聞いてきたフレディに向かって
そうだな・・・君が本当に僕を必要としないんなら。
引用:フレディ・マーキュリー 華麗なるボヘミアン・ラプソディ
と即答したフィービーに対して
僕には君が必要だ。居てほしいんだよ。
引用:フレディ・マーキュリー 華麗なるボヘミアン・ラプソディ
と答えたフレディ。
このやりとりを読んで、このようなことをフレディに言ってしまい、ここまで追い詰められたフィービーは辛かったとは思うけど、病で苦しんでいるフレディに対してこんなに思い切った返答をしたとは・・・、と思いましたが、次の一文で救われました。
フレディにこんなことを言わせてしまったことに対して、心から罪の意識を感じていた。
引用:フレディ・マーキュリー 華麗なるボヘミアン・ラプソディ
この会話の後、二人は抱擁し、フィービーはより責任を負いお世話をしたそうです。
この部分では読みながら涙が出てくるとともに、フレディの人間性も垣間見れました。
結局、マスコミに情報を漏らしていたのはジョーだったと書いてありますが、ジョーはフレディの死から1年後あたりに同じくエイズで亡くなっていたので、ジョーの言い分を知ることはできません。
第6章:自由への旅立ち
最後の章は、闘病生活について書かれています。
亡くなる数日前、メンバーのロジャーやブライアンが会いに来たことなどが書いてあります。
一点だけ、ジム・ハットンの著書とちょっと違うところがあるのが気になりました。
ジムの本では、
ですが、本書では、
どちらが実際の出来事だったのかはわかりませんが、その後に起こったあまりにもショックで悲しい出来事で記憶が定かではなくなったのかもしれません。
その後の出来事はどちらの本も同じですが、ジムの本の方が詳しく書かれています。
トイレに連れて行く前に自然に用を済ませたフレディが息をしていないことに気がつき、フィービーはアトキンソン医師に電話をし、フレディの死を告げられた後、メアリー、フレディの両親、ジム・ビーチへ電話を入れました。
両親への電話には大切な息子の死を告げるだけでも辛いのに、フィービーは彼らがフレディに会いにくるのを2度も(両親を安心させるため)に断っていたので、とても辛かったと思います。
1991年11月24日、日曜日、フィービーとジムがフレディが息をしていないことに気がついたのは6時45分、医師が死亡を確認したのが6時48分でした。
フレディが亡くなった時点で、ガーデン・ロッジには30~40人のマスコミが押し寄せていました。
伝染病で亡くなった場合、黒い保護ケースを使うことが義務づけられていたため、フレディはそのケースにおさめられジッパーが閉められました。
バンに乗せられたフレディーは警察の協力もあり、マスコミをかわしガーデン・ロッジを後にしました。
翌日、フレディの死亡届をチェルシーの戸籍役場に届けたのはフィービーで、葬儀の打ち合わせもおこないました。
葬儀の段取りはフィービーと彼の父親でおこない、火葬の日程は、フレディの両親と相談し、27日、水曜日に決め、それまでの間、段取りなどに追われ、お悔みにと届けられた生花は葬儀が終わり次第、喜んでもらえそうな病院やホスピスへ届けるように手配しました。
葬儀当日の27日は湿っぽい晩秋の朝で、フィービーはジム、ジョーと一緒に車に乗り葬儀がおこなわれたウェスト・ロンドン火葬場へ向かいました。
フレディは、聖職者や宗教団体の偽善的なものすべてを不快に思っていた。
引用:フレディ・マーキュリー 華麗なるボヘミアン・ラプソディ
と書いてありますが、火葬はフレディの意志であり、家族の希望でもあったので、ゾロアスター教に従ってとりおこなわれました。
式はフレディのステージのように完璧で、出棺の時に流した曲はモンセラの『トロヴァトーレ』のマリア、『恋はバラ色の翼に乗って』でした。
フレディの旅立ちに集まったのは、親族と心のつながりのあった友人のみでしたが、膨大な数のマスコミや見物人が押し寄せていたとあります。
バンドのメンバーと配偶者、ジム・ビーチ、アトキンソン医師、モイル医師、テリー、メアリー、ジム、ジョーとともに、葬儀後はガーデン・ロッジに戻り、フレディの人生をシャンパンで祝しました。
そして、最後にこう綴られています。
私の最後の奉仕に、きっと彼も満足しているように思う。私の仕事はフレディをどこから見ても完璧な人物に見せることだったからだ。
引用:フレディ・マーキュリー 華麗なるボヘミアン・ラプソディ
まとめ
フィービーはスタッフとしても友人としてもいつもフレディの近くにいたため、マスコミが出版している本にはないリアルなフレディを知ることができました。
仕事への熱意や、一人の人としてフレディを知ることが出来る唯一の本だと思います。
きっと大変なことや怒りが湧いてくるなどもあったと思いますが、とても客観的に書かれていて、誰かに対して批判的なことも書かれていません。
このように冷静に書かれていますが、フレディとフィービーとのやりとりの部分では、フィービーの感情が伺えて、フレディの人間性も垣間見ることができました。
フレディは人の良いところだけを見ようとした、とありますが、なかなか出来ることではありません。
ロックスターだけでなく、人としても尊敬できる人物であると改めて思い知らされました。
フレディを看取った3人のうち、ジムとジョーはエイズが原因でフレディのところへ旅立ちましたが、フィービーは今も元気で、フレディに関してのファンの質問に答えるブログを運営しています。
英語とスペイン語バージョンしかないのですが、翻訳すれば読むことができます。
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